日本の姓の存続性に関する数理生態学的考察 
− Galton-Watson型分枝過程の応用 −

瀬野裕美
広島大学 大学院理学研究科 数理分子生命理学専攻


要旨

 一般に個人の名前は、姓と名から構成される。姓は親から子へと社会的制度に基づいて選択の 余地なく継承されていく性質を持つので、血縁関係の近いメンバーは、同じ姓を名乗っているこ とが多い。本研究では、一組の夫婦が何人の子を持つか、何人の子が親の姓の継承者となるかを、 確率的事象として捉えることにより、ある家系において、その姓を持つ子孫の数が、世代を経る ごとにどのように増減していくかという問題を確率過程論的に扱う。ただし、ここでいう『家系』 は、慣用的意味に基づく「家系」よりも、同姓系に基づく厳密な定義をもつ。姓の存続と絶滅に 関する問題の確率過程論的取扱いは、19世紀の終わり頃にH.W. Watsonが提唱し、F. Galtonがそ の議論を完成した(Watson & Galton, 1874)。Watsonは、親から子へと続く家系が絶滅する条 件について考察した。彼等が扱ったのは、1人の祖先から分枝状に子孫の系列が広がり、かつ、 任意の各枝における世代交代が同時に発生するような確率過程であり、これを『Galton-Watson 型分枝過程』 と呼ぶ。1931年には、A. J. Lotkaは、家系の存続がGalton-Watson型分枝過程 に従うと仮定し、アメリカ合衆国における姓の絶滅の可能性を1920年の統計資料を用いて評価し た (Lotka, 1931)。日本では、夫婦は夫あるいは妻の一方の姓のみを使用することになり、選 択されなかった姓は婚姻によって継承者を1人失う。最近では、婚姻後も夫と妻がそれぞれ従来 の姓を継続して使用することを認めるよう、民法改正を要求する議論が高まっている。背景の1 つは近年における低出生率である。この低出生率は、婚姻しない男女の増加、子を持たない夫婦、 あるいは子をもうけても一人のみという夫婦の割合が増加していることを表している。このよう な状況では、姓はより絶滅しやすくなると考えられる。本研究では、夫婦別姓が認められた場合 も含めて、数理生態学の考え方も応用して,姓の存続と絶滅をどのように数理モデリングによっ て考察できるかを対象とし、現在の日本における姓の絶滅の可能性について、統計資料を元に評 価することを試みた。


大学院理学研究科数学専攻