真理を求めますように(2009年3月専攻長任期終わり・理学部通信) 10年以上前ですが、僕は次のような手紙をもらったことがありま す。「自分は、ある大学の数学科の出身である。自分が勤めている 銀行は、半年以内に倒産する。どんなモデルで計算しても倒産する という結論に至るのだが、上層部は『そんな結論を導くためにお前 を雇ったのではない。倒産しないということを証明させるために、 数学科出身のお前を雇ったのだ。倒産しないことを証明しろ。』と 言われる。」その半年後、いくつかの銀行・証券会社が破綻しました。  という話はさておいて。 確かな真理を、理詰めで、思考で、実験で、知力を尽くして、追い 求めていくのは良いものだと思います。数学の場合には、「数学的 証明」という、祝福された方法が使えます。具体的事物から数学的 対象を抽象して、数学的証明を与えます。証明により、真理に到達 することができます。時には、全く想像もつかないような真理に到 達することもあります。  ニュートンは、「力学の法則という微分方程式F=maと、万有引力 の方程式F=GmM/r^2を仮定すれば、惑星の運行も木星の衛星の運行も 彗星の運行も全て証明できる。さらに、地球上からある速度を超え てものを射出すれば、周回軌道に乗せることも、永久に帰ってこな い軌道に乗せることもできることがわかる」と述べました。やっと 地動説が認められたころに、もう人工衛星や惑星探査船を「見て」 いたのです。  いろんなところで、「深く探求していくと、とてつもなく深く広く、 美しく、自分をはるかに超えたものを垣間見、畏れと敬いを持たざ るを得ない」と感じることがあります。そうして、世界を畏敬し、 世界の実体を愛して生きることを「幸福」と呼ぶのだと思います。 (曹洞宗の道元は「万法に証せらるる」と言います。)  理学であっても、畏敬を欠けば、人を不幸にもします。ちょっと ネット検索すれば、遺伝子組み換え作物がインドの農民を大量自殺 に追い込んでいることを知るでしょう。去年からの経済恐慌の原因 の一つである金融商品CDS(内容はネット検索で)の設計にはMITの 数学科卒業生たちが関っています。  僕たちにはあまりにも試練がありますが、真理を求めることが、 それを超えるすべなのではないかと思います。 それでは、ご自愛下さい。