裏プロフィールなみの扱い:できれば読まなかったことにしてほしい (2010年3月19日、広島大学理学研究科送別会あいさつノート:松本眞談) 京都大学数理解析研究所 4年11カ月平成2年10月-平成7年8月 慶應大学理工学部    3年 7カ月平成7年9月- 平成11年3月 九州大学        1年   平成11年4月-平成12年3月(再婚でここから大阪に移動) 京都大学総合人間学部  2年 平成12年4月-平成14年3月(ここから広島の妻の実家の離れに移動) 広島大学 8年 平成14年4月-平成22年3月(東京母一人暮らしで移動) 自慢話みたいで恐縮ですが、今までにいくつかのお話を御断りしてきました。 広島大学に大きなメリットがあったからです。 広島大学では、 1. 妻の実家から通え、稲作ができる 2. 娘(現在6歳)ができ、ホタルの飛ぶ川の前に住んでいる 3. 大学における研究環境も、結局僕に直接悪影響を与えることは  なかった(特に、数学科・数学専攻の教員、事務員のみなさまが  支えてくださったので。)   広島大学の数学専攻は、僕がいままで働いてきた中では  (事務も含めて)最も協力的な雰囲気の職場でした。 もともと、僕はあまり数学ができないので、東大や京大の先生ではなく 「地方大学の教授になって、野心を持たず、目立たず、  マイペース・ローペースで生きよう」 という人生設計を持っていましたので、ちょうど良かったのです。 ローペースとは言え、広島大学に居る間に、学生の田上さん、大塚さん、 夏さん、原本さん、原瀬さん、坂元さん、助教の斎藤さん、デュークのHainさんらとの共著で年平均二編 の学術論文を執筆することができました。 そう思えば、広島では優秀な学生にも恵まれました。 ただ、81歳の母が東京で一人暮らししているのがずっと気がかりで、 「他は断るかもしれないけど、万が一東大から呼ばれたら、考えてしまう」 とは思っていましたが、 「東大からは呼ばれることはないだろう」 と確信していましたので、広島にずっといるだろうと思っていました。 4月からは、 家族は広島に残して、母の住む東京の実家に平日は住み、週末は広島に 帰って稲作を手伝う、というハードな計画を立てています。 斎藤睦夫さんと、疑似乱数関連でいくつか共同研究中なので、 その関係でも広島大学にちょくちょく寄らせていただければ と思います。 東大もまた異常に忙しく、人間関係も難しいところのようなので 今から心配でなりません。実際、「東大側の部屋はいつからあきますか」 という質問に、一週間以上返事がありません。 僕は、この種の転職を 「沈没船から火災船に逃げる」 と呼んでいます。 最後に、広島大学の数学系の教育研究レベルは非常に高いと思っています。 数学は今迫害にあっていますが、数学の大切さは多くの人が 認識しているところだと思います。今の迫害が反省される日が、いつか 来るだろうと思っています。 若い人のポジションの減少は致命的なレベルに達しています。 私たちには、政治的な道によってそれを改善する努力も必要でしょう。 しかし、根本的には私たちのできることは、  面白い、美しい数学を研究し、それを伝え、分かち合う ことだけです。 それによってのみ数学を続けていくことができるのでは ないかと思います。 長くなりました。 ここにはいない方も含めて事務のみなさま、教員のみなさまに あらためて感謝をのべさせていただきます。 また、今後とも変わることのないご厚情、 御付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。 ============================================ 最後の乾杯のあと、理学研究科長出口さんが阿波踊りをやるというので、 その前座に:「15秒間、歌を歌います。  『僕が、言ってやる、がんばれって言ってやる、聞こえてほしい、  あなたには。ガンバレー』(ザ・ブルーハーツより)」 では、また会う良き日に。